1103_幻のシンガポール旅行 成田空港で被災 その2

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ぐっすり眠れるはずはない

夜中も緊急地震速報の音や、余震で目が覚める。 緊急地震速報では、数分おきに鳴ることもあるし、東北地方の沿岸部だけではなく長野県や静岡県での地震も表示されている。連動した地震なのか何なのかもよくわからない。 富士山が噴火してもおかしくないし、首都直下地震東海地震が起きてもおかしくないとすら感じた。 当然、熟睡などできる状況でも環境でもないのだが、あまり大きな地震でなくても、郵便局の私書箱の扉がカタカタと音を立てるのも目が覚める大きな要因だった。

気づいたら朝6時頃だっただろうか。 一本だけJRが動くなどの情報もあったが、駅まで様子を見に行く気力もなかった。(実際にはガセの情報であった) 京成は路盤が崩れた区間があり復旧に相当時間がかかるなんて情報もあり、空港から脱出する方法がない状況のままであった。

歩いて帰ろう

8時過ぎくらいだろうか、もう空港に居ても埒が明かないこと、京成もJRも運転再開の見込みがないとのことであったので、とりあえず成田の市街地まで歩くことにした。 電車でも7km程度あるので2時間はかかるだろうが、路線がたくさんあるのでどれかは動くだろうとの判断である。

通行止めになっていた高速道路沿いを歩いていた。歩道はあるのだが、(地震の影響かどうかは不明だが)ガタガタである。スーツケースを引いて歩くのは大変だ。

優しく

1時間近く歩いたところだろうか、私たちの隣に車が止まった。親切な人が成田の駅まで送ってくれるとのこと。

空港で働いている人で、ちょうど家に帰るタイミングだったらしい。神様のような人だ。 大人になったからこそ、

成田駅に着いたが、JRも京成もまだ運転見合わせていた。 京成佐倉からは動いているとの話もあり、急遽、京成佐倉まで送っていただけることになった。

京成佐倉からはバスで八千代台まで移動した。 八千代台からは安全確認のためか徐行で走る電車に乗り、八千代台で乗り換え千住大橋まで向かった。 途中、混雑はあったが、地震による足止めもなく順調に都内にまで戻れたのは救いであった。

都内はいつもと大してかわらない土曜日のように感じた。 11日の夜は都内も非日常の光景が広がっていたのかもしれないが、成田空港から戻ってくると日常が広がっていて安心した。 その後、地震以来24時間近く、まともに食事をできなかったこともあるので、北千住で昼食を食べた。 友人と解散後、私は東武線に乗った。地下鉄への直通はしていないので、1Fから北千住始発で動いていた。24時間+αぶりに実家に帰宅した。

後日談:シンガポールへのチケットの払い戻しは、ユナイテッドの日本支社になかなか電話が繋がらないなど、相当手間がかかりましたが無事にできた。     その他、ホテルはおおむね返金されたが、東南アジアのフライトはほとんど返金されなかった。     東南アジアへは2012年の春に改めて行くこととした。