1103_幻のシンガポール旅行 成田空港で被災 その1

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シンガポールに向かう

そう、2011年3月11日。私は友人と二人でシンガポールに旅行する予定であった。 彼は現役で大学に行っていたので卒業旅行、私は一浪したので単なる春休みの旅行である。

いつものようにスーツケースに荷物を詰め、お昼ごろには実家を出発した。昨年開通したばかりの成田スカイアクセス線に乗り成田空港に向かう。 f:id:dongguacha:20210312113756j:plain f:id:dongguacha:20210312113759j:plain

出発時刻(17時30分)の3時間以上前に空港に到着し、友人と合流して第1ビルのの出発フロアでチェックインの開始まで待っていた。

まさかの地震

14時46分。グラッと揺れた。2日前の3月9日にも宮城県沖で地震があったことから、その余震かと思ったが、どうも様子がおかしい。 長い、一旦落ち着いた後、更に強くなったりする。とにかく長い、3分くらい揺れたのだろうか。何が何だかよくわからなかったが、いよいよ東海地震が起きたのかと思った。

窓ガラスが割れる可能性もあると思い、窓から離れるようには気を付けたが、テーブルなどなく、上から何か落ちてきたら防ぎようはない。

窓ガラスはプルプルと波を打っていたが、割れることはなかった。そして天井から何か落ちてくることもなかった。

揺れがおさまって直ぐは携帯電話も通じたように記憶している。強い地震ではあったが、フライトは遅れてもシンガポールには行けるかな、なんて話をする余裕もあった。 当時のガラケーワンセグを見ると東北地方で強い地震とのこと、被害が出ているものの(東海地震が発生したと思っていたので)そこまでではないのか?なんて思ってもいた。 津波警報も発令されたが、最初は数メートルとの予想であったので、輪をかけてそう感じていたのかもしれない。

ガラケーはバッテリー容量が少ないこともあり、ワンセグは時々見るようにしていた。 津波が陸地で民家や自動車を飲み込んでいく映像や、津波による死者が数百人単位で発生しているといったニュースも流れていた。

30分ほどした後、先ほどと同じようにグラッと揺れた。どうも先ほどよりも揺れが大きいように感じる。天井から釘も落ちてきた、頭に刺さらなくて良かった。

寒いけど屋外に避難

もちろん、そんな悠長なことも言ってる場合ではなかった。どこからともなく案内があり、建物の外に出るようにとのこと。 これからシンガポールをはじめ東南アジアに行くつもりであったので、暖かい服装もないし、外に出るのは嫌だなとも思ったが、建物が崩れても困るのでスーツケースを転がしながら外に避難した。 f:id:dongguacha:20210312113801j:plain f:id:dongguacha:20210312113804j:plain f:id:dongguacha:20210312113807j:plain f:id:dongguacha:20210312113808j:plain f:id:dongguacha:20210312113811j:plain f:id:dongguacha:20210312113816j:plain f:id:dongguacha:20210312113820j:plain f:id:dongguacha:20210312113823j:plain

第1ビルの駐車場に避難した、ここで夜を明かさないとならない可能性もあると思うと寒くて辛い。 周りはエアラインの職員も含めて、空港にいたほぼ全員がいるのだろう。先ほどワンセグを見ている限り、凄まじいことが起きていることは認識しているのだが、断片的な情報しかない。 この後、自分たちがどうなるかわからなし、みな不安を隠せない様子であった。

空港で野宿

17時ごろ頃だろうか、建物に戻っていいとのことであった。 引き続き、京成もJRも運休し高速道路も閉鎖されていて今日中の復旧は難しいとの情報もあり、宿泊になることを見越してコンセントのある場所を陣取った。当時まだあった成田空港内郵便局の前だった。 PCを広げ、ACアダプタにコンセントを接続し、無料wifiに接続する。Twitterを見たりした記憶がある。 先ほどの地震がM8.8と報道されたのもこの頃だろうか、そんな強さの地震が日本で起きるとは思いもしなかった。 あと特筆すべきは、母から又聞きだけど、千葉のコンビナートで火災があったから有害な雨が降ると怪しげなメールがあったとのこと、 何だよそんな有害な物質ってと思い、メールで反論しておいた。災害時のチェーンメールの恐ろしさを感じた。 この間も余震は続いていた。とにかく先ほどの大きな地震が本震であるなら良いのだが、更に大きい地震が来る可能性があるとの不安もあった。

友人はしっかり者である、気づいたらローソンでおにぎりかサンドイッチだったか記憶が定かではないが、エネルギーになるものを買ってきてくれた。 もうあまり在庫は残っていないとのこと。長丁場になる可能性もあるところ、しっかりと食料を備えておくことは大切である。

友人と交互ではあるが、トイレに行ったり、ビル内を散歩したりしていた。 フライトの案内を見る限り、いつの間にやらキャンセルになっている。明日以降の便に振り替えなのか、シンガポールから東南アジア域内の移動の予約がどうなるのか等々、いろいろ気になりもした。

到着ロビーで寝袋を配布していたのでもらう。旅行できた外国人だろうか、まわりにいる人に寝袋をぽいっと投げて届けている。 丁寧に手渡ししなくても届けばいいと考えるほうが効率的だし、不安な中でも少しでも楽しく行動することは大切だなとか思いつつ眺めていた。 どんよりとした空気の中、明るい空気が流れていたような気がして、とても印象的だったんだろう。 f:id:dongguacha:20210312113827j:plain

「場所」に戻ると、ガラケーを充電させてほしいとか、外国人にメールを使わせてくれとお願いされることもあった。 ロシア人だったと思うが、遠く離れた日本でよくわからない状況になるのも大変である。無事であると伝えられたことは良かった。

この頃には電話は繋がらないにせよ、メールでのやりとりはできるようになっていたように思う。 東京は東京メトロ都営地下鉄は動きそうとの話はあったが、JRや京成はまだ厳しそうだった。明日には帰りたいが、帰れるのだろうか。